Thursday, April 17, 2008

土佐弁辞書 III-2 歴史・民族 ('05復刻版)

3時間目<文化>高知の文化

目次


<2.歴史・民族>


少し歴史的背景を書こうと思う。高知は昔土佐国(初期は土左国)と呼ばれ、その辺鄙さゆえに「鬼国」と呼ばれ蔑まれていたという。内実は、天嶮たる山岳のすきまに暮らす民族がお互いを牽制し合い住んでいた。それが香宗我部氏、長宗我部氏という有力豪族に仕切られるようになったところに織田信長率いる全国統一軍が攻め込んでくる。一説には明智光秀の謀反にも絡む話でもある(明智と長宗我部はつながりがあったという)。最終的には豊臣軍に参加した長宗我部氏は今度は大阪夏の陣にて敗北し、公儀家康の支配下に置かれることになる。こうして、家康に出向させられた山内家率いる上士と県下各地に点在していた地元豪族転じて郷士が対立する構造となった。

高知県の県民性として、中央の者(上士)に阿諛迎合せずいつまでもゲリラ戦争を繰り広げていたように、何かを押し付けられること、同じひとまとまりに収まることが嫌いであるらしい。少し好戦的なところもある。時は過ぎて300年の後に郷士から出た坂本竜馬や岩崎弥太郎(三菱財閥創始者)、上士の板垣退助、後藤象二郎が長州薩摩勢と江戸や京で近代化に奔走し、土佐藩から高知県へ。こうして今の体となった。


民俗的側面を書くと、山脈と海洋に阻まれ他国との流通も進まなかった高知のために、独自の文化が根ざしている。たとえば、狩猟、農耕、漁業、それぞれに伝わる手法と祈祷文化、ムラの形成。すべてが洗練されていない土臭いものばかりだが、それだけに奥が深く難しい。壇ノ浦で負け去った平氏の落ちた仁淀の村々ではいまだ平氏の言い伝えが残っているし、祭文をはじめとした念仏思想または呪いの文化まで残っているところもある。土佐弁も平安や鎌倉の時々の文化をいままで冷凍保存したのではないかというような表現などが残っている。参考資料:高知県史<民俗編>

関係ないかもしれないが、流通の悪さを思うことでひとつ。自分の祖母は母を身ごもっていた時期に急に実家へ帰るといって、夜中1日山の中を歩き通しで東津野から仁淀へ帰ったという。昔の人はすごい。

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