Monday, October 30, 2006

日記(Eureka SeveN)

ロボットアニメのロボット(ここで言うロボットは、人間が乗る人間型のロボット)のユーザーインターフェイスは必ずといっていいほど、2dディスプレイである。ないしは、2dディスプレイが3次元的に湾曲したものです。
そういえば、いま使っているWindows Vista RC1のグラフィカルユーザーインターフェイスAeroは、ウィンドウを透明化することができます。
最近のGnomeでもウィンドウの透明度を自由に指定できるそうです。
もう、アニメの世界に来てしまったのだなぁと思います。

48話の総評、空を飛ぶシーンはまるでジブリを見ている気がしました。

日記(刑事コロンボ/構想の死角)

コロンボシリーズは物心がついたときから日テレ系金曜ロードショーでなじんでいました。あの憎めない癖のある人柄と、粘っこい操作方法は、コロンボだからなせる業だと思います。警部補古畑任三郎も、和製コロンボともいえる展開がやっぱり好きです。
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テレビシリーズ刑事コロンボの最初の回は、スティーブンスピルバーグ監督がメガホンを取っている。
「構想の死角」
話はこう。
推理小説家のコンビの片方が、自分のオフィスでなぞの失踪を遂げる。縁を切った奥さんが、失踪直前オフィスにいる彼と電話をしていた。電話の最後に、銃声とともに電話が切れた。
彼は銃声のあとどうなってしまったのか、荒らされたオフィスから見つかったマフィアの名簿が示すものは。解散直前の小説家コンビに何があったのか。

ミステリーの脚本としてはよくある、推理小説家の完全犯罪シナリオ。
コロンボはやはり、犯人や被害者の習性などの人間的なポイントから手がかりを積み重ねていく。
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コロンボの粘っこいキャラクターは、スマートで狡猾な犯人に向き合うための最高の武器です。
賢い人はもとより、めんどくさい、鈍い、素朴な人間に弱いのです。
これは、意外と実践的なことのように感じます。

さらにコロンボの最も優れた点は、最初に相手を見て付き合い方を変えること。
武器を持っていても、使い方しだいで自分の首を絞める。
キャラクターをいくつも持っていて、その上で相手に合わせたものを選ぶ。
そこに、推理力以上の能力を見出せます。

Saturday, October 21, 2006

勝手に訳詞(Bob Dylan/Knockin' on heaven's door)

Bob Dylan/Knockin' on heaven's door

Mama, put my guns in the ground ママ、銃を投げ捨てて。
I can't shoot them anymore. もう撃てないよ。
That long black cloud is comin' down あんな長くて暗い雲が降ってきて
I feel like I'm knockin' on heaven's door. 僕は天国のドアをたたいてるみたい。

Knock, knock, knockin' on heaven's door コンコン、天国のドアをたたいてる。

似た歌詞としては、Queen/Bohemian Rhapsodyがある。

Mama,just killed a man, ママ、人を殺しちゃった。
Put a gun against his head, 頭に銃を宛てて
Pulled my trigger,now hes dead, 引き金を引いたら、死んじゃった。
Mama,life had just begun, ママ、人生始まったばかりなのに
But now Ive gone and thrown it all away- もう終わっちゃった、やめちゃったんだ。

映画や劇は、観客が主人公の追体験をすることで、多くのことを学べるものになっている。
もっと古い形としては、物語か歌の伝承がそれを担った。
非現実的な体験もできて、それが人生という地雷原を渡る上で、道標になった。
「人を殺した人間の気持ち」なんてものは、普通の人は知りえないでしょうから。

今の音楽は、その部分を切り捨て、音感やモダンな恋愛感に訴えかけるものばかり。
NHKの「みんなのうた」も、例外ではない。