Monday, July 31, 2017

PKCに関する、なんというか懺悔

http://o-san.blogspot.jp/2007/09/pkc.html

実は、上記記事には書いていなかったのですが、最後の解決にはいたらなかったものの、解決の糸口になりそうだったできごとが生活の中に有りました。
本当は、もっと自分の辛さを伝え続けていればよかった。。。
最後は解決されたことですが、経緯をここに記します。

【PKCと最終的な顛末は→参照】http://o-san.blogspot.jp/2007/09/pkc.html

【解決の糸口】

時期: 小学校高学年~中学校低学年

すでに運動会などで必ずPKCの症状が起きたので、両親に遠回しに相談しました。
両親は、最初はよくわからないという反応でしたが、
こういうときに父親は頼りになります。
すぐに病院に連れて行ってくれました。

父はとても運動が得意な人で、足も早く、
高校では柔道で腕をならしたそうです。
そんな父は、おそらく自分の息子が運動に関して何か変だということに
だまっていられなかったのでしょう。

連れて行ってくれたのは、住んでいるところから車で十分ほどのところにある神経内科でした。
そのときに処方されたのは水色のパッケージに入った大きな錠剤だった記憶があります。
飲むと若干の症状の緩和がありました。
ずっと飲んでね、と言われて飲み続け、薬がなくなり、確か2,3回受診した記憶があります。
両親共働きの自営業の家庭です。父は私を信じていました。「病院に行ってきなさい」
「病院に行ってきます」そう言って2回目以降自分だけで自転車で山を越えて病院に通ったのでした。
ただ、このときには医者は正確な病名がわかりませんでした。
また、薬を飲んで確実に治った実感がありませんでした。
ここで私はあまりよくない行動に出たという記憶があります。

意味がないからもう病院に行かない。

今ならこういえばよかったと思います。「もう少し効きそうな別の薬はないですか。試してみたいです」と。
もしくは「もっといい病院はありますか」
あのときの父親の行動をある意味無にしてしまい、3年ほど経ってやっとそしてあの高校での「テスト答案返却」での発作頻発事件と赤十字病院での「PKC」という最終判決に遭遇します。
でも、最初の気付きと父の行動からの3年間を、ある意味棒に振ってしまったのは、自分のせいなのだろうと思います。
父親のくれた最初のチャンスを活かしきれればよかった。。。

勇気がなかったのだと思います。

自分が置かれている、この状況を、
医者にちゃんと伝えられて、解決してもらえるのか。
その点に疑いを持っていたわけです。
もしくはもう一度父を病院に連れていって、一緒に医者に言ってもらえばよかった。。
「この子はまだ完全に治っていません、違う薬を出してください」そう言ってもらえばよかった。。

正直言うと、今思うと大変瑣末なことなのですが、当時の私の気持ちはこうでした。
学校が早く終る土曜日や平日の特別な日に自分だけで山を越えて自転車こいで
病院に行って、効くかもわからない薬をもらうのが、めんどうくさい。
苦痛だったのです。。。。

でも、そのことだけだった。
4回目以降か。。。
もうその病院には行かなくなっていた。。。

20年も前のことになります。
今の自分はこういう積み重ねなのかなと思い、メモとして書いています。
父はきっかけを作ってくれた。そのあとのアピールは、自分自身の責任だった。
それを放棄した結果、以降の何度かの苦しみがあったと思います。

ぜひ、周りの方の気付きは大事に。