Sunday, February 26, 2006

青取之於藍而青於藍

回文のような周期性があるような無いような、ずっと見つめてたら目が回るこの文章。
荀子の「藍より出でて藍より青し」の原文だそうだ。
(「中国古典の言行録」宮城谷昌光著)

宮城谷氏は、藍も青ももともと同じものなんだし、きっと自分のことを言ってるんだと明言した。
つまりこれは自己革新を謳っているものだと。
まったく納得できる解説があるので読んでいただきたい。

自分はこれを「カオス」にも拡大解釈できると思っている。
だって「藍」は「藍」のままで終わることもあるかもしれない。
「青」である状態は「藍」である状態から確率的に産出されるわけで。
「青」だって、もっと青い「何か」の状態になる可能性もある。
きっかけが何だかは分からない(荀子も明言してない)。
宮城谷氏はそれが「学問」だと仮定した。
自分はそれが純然たる「確率過程」だという仮定をしてみた。
すると、「藍」の最終状態はいったいどこなのか。
どれだけ「青」いのか。誰にも分からない。
これはちょうど、映画ジュラシックパークで数学者が
「腕を伝う水がどこに到達するか、だれも予想できない」という内容の説明をしたのにそっくりだ。

でも、今の自分は将来の自分を分からないけど逆に昔の自分は分かっていて、
「昔は藍だったなぁ」「今は青いな」とかそういうことを感じることができる。
そのときは、そう、
「ああ、今の自分が青いのは、すごく低い確率で綱渡りしてきた結果なんだ」
て思うのかな。

まあ、とにかく何が起こるかわからないってこと。

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