大きくなったら、今までの自分は消えてしまう。
過去は残らない。
それでも打ち出の小槌を迎え入れた男。
一寸法師
この勇気は、死を迎え入れるに等しい。
ただ、彼はそれまでに死ぬような思いをいくつもしたのだから、
彼には特別なことでもなんでもなかったのかもしれない。
よくよく考えると、これまでの自分を捨てることなんて
大したことはないのだけれど、
人間には「生きなければならない」という教えがあるし、
故郷を思う気持ちもある。
変わりたくないという思いが自然と起こるのが人間だし、
それが「自分」だという定義もできる。
でもそれはただの粘性かもしれないし、慣性かもしれない。
だるいから変わりたくないだけかもしれない。
自分の中の一部を見てどこが「自分」らしいのかを探してみても
自分全体を見ないと自分ではないし、
他人が見た自分を「自分」とするのであれば、一生「自分」は見えない。
自分を見すぎると、今度は自分を見ている自分を見ることになる。
だったら「自分は何かはわからない」けど、まああるものとして、
それより大事なものを探すしかないんではないか?
自分の価値なんて分かりっこないんだったら、
分かることの積み重ねで自分を創れば。
どうしてもっと動かないのか。
よじらないのか。
以上
文字数と行の長さで遊んでみました。