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Sunday, April 01, 2007

不思議(報道)

「報道」ってなんだろうって最近気になっています。
Wikipediaでは「報道」の意味を以下のように説明しています。
Wikipedia
少々引用すると(2007年4月現在)
報道ほうどう)は、ニュース・出来事・事件事故などを取材し、記事・番組・を作成して広く公表・伝達する行為であり、言論の一種である。ジャーナリズム。
ここで、報道する側がマスコミ、ジャーナリストとなるわけです。

そうすると、Wikipediaってマスコミじゃないの?って思うわけです。Wikipedia上にある記事は、あくまで二次情報を元に構成した寄せ集めに過ぎません。しかし、それが「記事」であることは紛れもないと思います。しかし、ジャーナリストは存在しません。有象無象の視聴者参加型記事生成が行われ、誰が記事の著者かはわかりません。

そうすると、Wikipediaがいろいろなオフィシャルホームページにリンクを張っていることは、非常に危険な香りがします。著作権的に。「自動公衆送信権」を侵害している可能性が出てくるのでは。。。

Saturday, December 16, 2006

不思議(愛国心 前段)

今回は不思議な言葉「愛国心」を考えていく上で、軽いワークアウトを。

前回の不思議「義務教育」からネタが膨らんできたところに、改正教育基本法の法案通過のニュースと読売新聞の社説が飛び込んできました。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20061215ig90.htm

まず記事に対してコメント。
「教育の荒廃」「いじめ」「愛国心」がひとくくりで論じられていて、関連性が描かれないまま「愛国心イイね」となっているさっぱり分けが判らない記事です。
ちなみに、愛国心は当たり前で、明文化するのが恥ずかしいと思うのは私だけでしょうかね。
日本には、愛国心を戦争の前触れと忌み嫌う文化がある、それは確かです。認めましょう。
忌み嫌って議論をしなかったから、「愛国心」の取り扱い方が分からなくなったんでしょうね。
「愛国心」必要なんだけど、どうしよう、しょうがねえ、明文化しちゃえ。先に憲法にいれちゃえ。
アレルギー反応を治すために、逆に血管に大量注射してみる感じ。
荒療治過ぎるw
おいおい。
関西芸人のツッコミ役もびっくりするこてこての落ちをつけてくれなくてもいいと思いました。
それって、ゆとり教育といっしょじゃない?
いじめかっこ悪い、だからみんなでゆとり教育、基準制定。
おいおい。
学力低下のつけなくていい副作用の落ちもついていましたね。

まずは愛国心を勉強するところからはじめましょう。
正しい愛国心って何?
もちろん誰も正答を知らない。
だから、教育に与える影響、功罪、もっと議論すべきです。

さて、これからこの不思議エントリーを使って、「愛国心」の情報を収集整理したいと思います。

また、いろんな世代の人の話を聞く必要もあると考えます。
特に、中高年層、団塊の世代は、幼少に戦争悪を直接、間接に刷り込まれた人々で、「愛国心」には特別の拒否感があります。

さらに、「愛国心」、それは日本を愛することなのか、もしそうなら、愛すべき日本が明らかにならなければ「愛国心」はつかめない。
日本についても調べる必要がありそうです。

とりあえず、Wiki「愛国心」へリンク。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E5%9B%BD%E5%BF%83

Saturday, December 09, 2006

不思議(教育再生会議)

今回判らないもの。
これまで取り上げた「A級戦犯」とか「造反」といった概念ではなく、実在するものです。
「教育再生会議」&「義務教育」

さて、参加者は以下のとおり。
安倍内閣総理大臣、塩崎内閣官房長官、伊吹文部科学大臣、下村官房副長官、鈴木官房副長官、的場官房副長官、池坊文部科学副大臣、山谷総理補佐官、有識者16名

野依教授が座長となって教育のあり方を考えていく会議、のようだが、伊吹文部科学大臣の検討したいところは、責任の所存所在らしいことが発言から分かる。
「国民に対して共通の基礎学力・基礎規範意識を植え付けるとなると教育の最終責任はどこにあるのか、ということについてこの会議で御議論いただきたい」

ついでに、政府としてはやはり戦争の結果責任が頭をもたげているのか、政治が教育を縛ってしまうことは特に怖がっています。
それは、特定の政治イズムを教育の現場に入れないように、という言葉にひそんでいます。

いや、確かに高校でやる「公民」の内容ほどつまらないものはなかったですよ。
参議院が何人だとか、政治の外枠だけをうわごとのように繰り返し暗記したんで。
政治の中身なんて一切学ばなかった。少なくとも教科書からは。
だから、学ぶ方の子供たちも分からないんですよ。
政治が自分たちに義務教育を施してどんな大人になってほしいと思っているのか、どう考えて政治が義務教育を作ったのか。

私も知りません。義務教育がどんなゴールを持っているのか。
伊吹文科相も、「この会議で御議論いただきたいことは、義務教育とは何かというこ
と」といってるので、大臣でも分からないのでしょう。
同じ問いに、多くの国民は漠然と「必要だから」と答えるでしょう。

普通の親は子供を躾けるときに、必要なことから教えていくのです。
子供が親に「なぜ必要?」と問えば、親は子供に親切に答えるものです。
そうすれば子供も言う事を聴くでしょう。
だが、子供が政府に「義務教育はなぜ必要?」と問えない。問うても答えられない。
親もその点に関してはよく分からないでしょう。
でも必要っぽいから子供に教育を強いています。
「とにかく学校の勉強をがんばりなさい」と。
さらに、教育の義務が憲法で課されています。
憲法は何を教育するかは明言していませんが。

私は「教育再生会議」に高望みはしません。
会議が始まったこと、それだけで大きな成果だと思います。
教育について考え始めること。
これはむしろ、教育の義務を課された親や社会の、新たな義務でもあり、
教育を受ける子供たちに対して、最大の発言の機会を与える必要があります。
たとえ、これがパンドラの箱を開けることなのだとしても。

Monday, November 20, 2006

不思議(造反)

今回理解らないもの
「造反議員」

これ、面白い言葉ですね。
郵政民営化(骨抜き)に反対した人は、「いわゆる」造反議員だそうです。
ちなみに、
******************
ぞう‐はん〔ザウ‐〕【造反】
「ぞうはん」を大辞林でも検索する
[名](スル)体制に逆らうこと。謀反(むほん)を起こすこと。「若手の党員が―する」
◆中国から輸入された語。1966年の文化大革命以後多用された。
[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]

造反有理(ぞうはんゆうり)とは、「謀反には理由がある」を意味する中国語。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%A0%E5%8F%8D%E6%9C%89%E7%90%86
******************
調べてもやっぱりしっくりきません。
まあ、意味としては良く理解るのです。
確かに体制に逆らいましたしね。彼ら。

どっちかというと、造反有理の言葉の意味のほうに非常に共感します。
そうです。郵政反対派はなんらかの理由があって反対したはずです。
重要な意味、これを大義といいますが。
造反の理由、なんだったんでしょうね。
今になってはもうどうでも良くなってるんでしょうか。
まあ、自民党も失速してきたのでちょうどいいから復党するのでしょう。
造反有理いずこ、って感じですね。

Wednesday, August 30, 2006

不思議(格差社会)

今回は格差社会、これもよく分からないものです。
そもそも格差の無い社会はありません。
社会主義なんてものも、極めて多い平等者と極少数のブルジョアのシステムです。
なのでやっぱり格差社会です。
#よく考えると、みんながのほほんとした理想国家なんて他の国に食べられてしまいますよ。

格差は格差を生むといいます。
それは正解だと思います。
ただ、格差が広がるだけではありません。
確率低いですが、思い切った逆転はやっぱりあります。

自己組織化をご存知でしょうか。
不均質の蓄積が続くと雪崩の起きる直前の雪山のような状態になって、小さな崩壊が大きな、持続性のある崩壊につながるといわれています。
これは、現実世界がネットワークだからです。
大企業がつぶれると大勢の人が路頭に迷うので被害が大きくなりますよね。
一個がつぶれると下請けやらなんやらいろんなところが影響を受けるのです。
#詳しい話はカオス理論を参照。

格差が広がっても、格差が狭まっても、経済活動が続く限り、株価と同様格差も変動しっぱなしです。
格差が広がれば崩壊が起きます。
何も心配する必要が無いのです。

Wednesday, August 02, 2006

不思議(政治責任)

「不思議」エントリには、個人的に判らないことを書いていくことにしました。
今回は、「政治責任」という単語です。

A級戦犯はどうしてあれほど倦厭されるのでしょうか。
答えは「政治責任」なのだそうです。
その答えがよく判りません。
文化的知能指数0の私がいろいろ考えることにします。

まず「責任」について考えましょう。
権利や自由を得ると、それに伴って責任が発生するとよく言います。
私は逆だと思っています。
アパートに住んだら家賃を払う。
商品を買ったら代金を払う。
借金をしたら利息を返す。
権利を得るために、人は責任を負うのです。
いいものを手に入れるためには、それなりの対価を払うという市場原理が働いているのです。

じゃあ、「政治責任」とはどんな「責任」なのか。
「政治責任」に見合う「権利」とはなんでしょうか。
言葉を置き換えると、それは「政治権」になりますね。
ここで判らないのです。
「政治権」とはまさしく「政治」を行う「権利」なのですが、これって権利ですか?
会社員は課長、部長と位をあげるごとに給料がよくなります。
それは、重い仕事に対する給料という対価があるから、よく判るのです。
仕事が責任で給料が権利です。
んじゃ、政治という重い仕事にどんな対価が支払われるでしょう。
それなりにいい給料をもらっているのですから、対価とすべきかもしれません。
でも、A級戦犯とよばれて未来永劫嫌煙される責任を問われるような重さなら、
対して相当の権利があってしかるべきですね。
このバランス感覚はおかしいのですよ、どう考えても。

市場原理に照らしたときに「政治責任」の重さの説明がつかない。
一旦「政治責任」のあり方を考え直したらどうでしょうか?
むやみに大きな「責任」を負わせるような、マスコミの煽りや極端な原理思想は、為政者を悪者に仕立て上げつるし上げるただのいじめになります。

国民もなんらかの形で為政者の支援をしたことを考えると、
国民全体も何級戦犯だかわからないですが、戦犯です。
国民が何級かはっきりさせてからA級を語りましょう。