Wednesday, August 30, 2006

歳時記(処暑も過ぎ)

24節気では処暑より白露までの丁度中間に当たるでしょうか。
「暑さもそろそろ抜けてきたかなぁ、まだ冬の気配は無いけど」
という気分に相当します。
もしかして一番すごしやすい時期でしょうか。

$BGM> Muse/Endlessly [脱力感が

不思議(格差社会)

今回は格差社会、これもよく分からないものです。
そもそも格差の無い社会はありません。
社会主義なんてものも、極めて多い平等者と極少数のブルジョアのシステムです。
なのでやっぱり格差社会です。
#よく考えると、みんながのほほんとした理想国家なんて他の国に食べられてしまいますよ。

格差は格差を生むといいます。
それは正解だと思います。
ただ、格差が広がるだけではありません。
確率低いですが、思い切った逆転はやっぱりあります。

自己組織化をご存知でしょうか。
不均質の蓄積が続くと雪崩の起きる直前の雪山のような状態になって、小さな崩壊が大きな、持続性のある崩壊につながるといわれています。
これは、現実世界がネットワークだからです。
大企業がつぶれると大勢の人が路頭に迷うので被害が大きくなりますよね。
一個がつぶれると下請けやらなんやらいろんなところが影響を受けるのです。
#詳しい話はカオス理論を参照。

格差が広がっても、格差が狭まっても、経済活動が続く限り、株価と同様格差も変動しっぱなしです。
格差が広がれば崩壊が起きます。
何も心配する必要が無いのです。

Tuesday, August 29, 2006

ギター(弦切れる)

勢いよくギターを弾いていたら、ぷちんと逝きました。
さすがに、第2弦が切れたことは無かったです。
ちょっとやりすぎたと思います。

自分の出す音にもサイクルがあります。
昨日までしっとりした音を出していたと思ったら、今日は強めに弾いたりします。
その時々でセンスが違うことが原因です。
人間いつでも同じセンスを持ってはいません。
あろうことか、昨日と今日でも違います。

$BGM> Metallica/St. Anger [Drsの音はなんだありゃ]

Sunday, August 27, 2006

サステナブルな自分って

サステナブルって数年前から合言葉のように使われてます。
環境問題っていうと、「環境」とは「自分以外」のものだから「どうでもいいや」ってなっちゃいますね。
それどころか、自分さえもサステナブルじゃない場合、環境をサステナブルにする余裕があるわけがありません。
まず、自分からサステナブルにするのがいいんですよね。
でも斯く言う私もそれが出来てないorz
やりたいことがいっぱいあるのに時間足りないんですよねorz、是言い訳哉。

<本>
ゴー宣Special いわゆるA級戦犯/小林よしのり
「東京裁判」が胡散臭いことをとことん取り上げて、それを根拠にしたA級戦犯とはやっぱり胡散臭いんだという話でした。途中の「責任=法的責任+道義的責任」に分けて考え始めたところがよかったです。結論は「道義的責任」にあまり触れないままだったので、あれあれ?と思いましたが。でも、広田弘毅、重光葵などA級戦犯個々にまで焦点を当て、一般向けに噛み砕いた漫画にしているのは結構な仕事です。おかげで名前は覚えられそうです。

$BGM> Muse/Time Is Running Out [歌詞も曲もMuseにしてはPop過ぎるくらいPopだなぁ]

Saturday, August 26, 2006

フットサルをやってみた

フットサルをやってみました。
やったらやったで面白いです。

まず、めっちゃ走る競技だとは知りませんでした。
・サッカーと段違いの狭いフィールドで、やたらめったら攻守が変わること。
・さらに人数が少なく、一人ひとりのポジションが重要なこと。
そんなわけでみんな走る走る。
汗だくの自分を見てみなが心配の声を掛けてくれましたが、そもそも新陳代謝が大きいのでちょっと走るとこの有様です。

<本>
ヘミングウェイ/老人と海(福田恒在訳)
この本には小学校のときに思い出があります。
小3,4の自分は、本を読んで感想文を書く宿題でこの本を題材に選んだわけですが、読んでもさっぱり面白くありません。しょうがないので、感想文には正直に「おもしろさがわかりません。しょうらいわかるでしょう」と書いたのです。そしてまた出会ったこの本を、大体倍の歳の自分がまた読んだわけです。「おもしろくない」という昔の記憶があるので、最初は読みづらい気分でしたが、読んでいくとこれが驚くほど面白い。あれ?どうして?

巻末の訳者の解説には次のようにあります。ヘミングウェイの思想とは「ストイシズム」であり、「かれの作品のなかに出てくる人物の特徴は、自己の苦痛や情念にたいして、しいて他人事のような無関心をよそおうこと」である。私は今作に関していうと、ストイックなだけでなく登場人物が老人であることもその原因の一つだと思います。人間は若い日のちょっとした怪我など、その痛みを遠い日まで覚えていたりします。でも、年老いてからの痛みなんてものはほんとうにちょっとしたことになってしまいます。いろんな痛みを知るからかもしれません。今作の主人公サンチャゴにはことさらにそれが当てはまります。かれがいくつも痛みをはたいて得たのは、戦いの結果何の利益も生まない大魚の骨です。でも確かに結果は残るという慰みを作者は込めている気がしてなりません。その結果は「女」にとってはよくわからない骨に当たるわけで、決して他人に理解されるものではないかもしれない、でも「家族」である「少年」にはそのすごさが分かる、そういう描写が最後に付記されています。

$BGM> Yes/Siberian Khatru [プログレの中のプログレ]

Tuesday, August 22, 2006

youtubeでBGM

$BGM> Muse/Unintended
タイトルが若干Nintendoに見えるのは私だけでしょう。
それにしてもMuseは当たりだ!絶対買う。

それにしてもyoutubeもこういう使われ方するとはおもはざりしや。
「バックグラウンドで再生して映像を水に音楽だけ菊。」
使い方間違ってますよという意味です。

ついでにyoutubeにshuffle機能があればなぁ。

Monday, August 21, 2006

帰省 IV (母の実家)



<写真>
ばあちゃんちの表にあるど根性大豆。
あと、田圃の名も知らぬ草。

セイランとりで疲れたわれわれは、赤飯をたらふく食いました。
#なんか夏休みの絵日記描いてる気分になってきた。

$BGM> Hoobastank/Same direction [Summer Sonic行きたかったなぁ]

Saturday, August 19, 2006

帰省 III (四万十川)



四万十川に浸ってきました。
津野町(旧東津野村)不入山。
google earthで調べるとしっかりfunyu zanと書いてあります。
でも、正しい読み方はレ点をつけて「いらずやま」です。
#もしかして地元人しか正しく読めない?
ツキノワグマが野生しているからか分かりませんが、入ることが出来ない山だったのでしょう。
四万十川の源流点はこの山にあります。

少し下ったところである藻を採取できます。
四万十川上流域、四国カルストの石灰が溶解したミネラルに富む川水が滾滾と流れます。
アツブサゴケモドキが岩場を覆っていて、そのやわらかさが幻想的に見せています。
その藻とは、この地で「セイラン」と呼ばれています。
その正体はあまり知られていないようです。
四万十川流域振興室で簡単に紹介されています。
「セイラン」に関しては研究も始まったばかりのようです。こちらには詳しい写真もありました。(科学技術支援機構カワノリ養殖生産技術の開発参照)

「セイラン」の姿を紹介します。
自分で取った写真もアップしておきます。
岩についた、緑の「セイラン」と黄緑のコケが写っています。
色がぜんぜん違うのですぐ分かります。
「セイラン」は緑藻綱カワノリ目で、藍藻の青い藻(川底でつるつるすべるやつ)とは色は似ていますが、形、住む場所が違います。
前者は昆布のような膜っぽい形をしていて大きくて3~5cm長、水面近くで水流の速い岩表面(それもその水温が大体15℃で水が石灰を含んだきれいなところでないと出来ない)に付着します。
後者は糸が絡み合ったようなもじゃもじゃした形をしていて、どこにでもいますが、大体川底にいます。

祖母いわく、「セイランは下から救い上げるように取れ」。
昆布を根っこから引きちぎる感覚です。
これを持ち帰り、他の藻やコケとより分けて平らになべて日に干します。
これで食用セイランとなります。
食用ノリよりごつごつした分厚いものができ、焼くと非常に香ばしい香りがします。
セイランの特徴は、ぷちぷちこりこりしたなんとも楽しい歯ごたえです。
一度は食してほしいものです。栄養もたっぷりのようですよ。

採取後私は岩から転落して頭から川に落ちました。
携帯電話は一応守りましたが。

$BGM> Asia/Only Time Will Tell [ブリッジがVan Halenぽい、Steve Howeすごい]

Thursday, August 17, 2006

帰省 II (四国カルスト)



写真は天狗高原の四国カルストです。
休みを利用して家族と登ってきました。
車で行けるので非常に快適です。
個人的には、ペーパードライバーの冠を返上する大走行でくたくたになりました。

この植物はなんでしょうか?

それにしても風車が少ないですね。
県境だからかわかりませんが、どちらの県も風力発電にあまり関心が無いようです。
たしか関東のベンチャー企業が、四国山脈に風車を立てて四国電力に電力を売る商売を始めるという話を聞いたことがありました。
「そんなもん、地元人がやったらいいやん。
 県庁は何を考えてるんだろう。
 道路作る前に、これじゃないの?」
と思います。
誰も考えないのでしょうか、それとも採算合わない?
そんなわけは無いです。いろんなところで採用されてますから。
それに森林率日本一の県のイメージに合致して、いいと思いますが。
緑沢山、清流多い、空気きれい、海洋深層水とかもある。
人口少ないのでエネルギー消費も少ない。
排ガス少ない、とは言い切れない(自家用車使用率高い)けど、風車でまかなってるぜ、となると、日本一の「クリーン県」となるわけです。
どうでしょう。高知県庁の方、ご検討いただけませんでしょうか?

#県の商工会議所の方、よさこいのHPを充実させたほうがいいんじゃないでしょうか。
#阿波踊りと比べて少々見劣りが。。。

$BGM> Trivium/Ascendancy [バンドの仲良さそうって感じる曲]

Wednesday, August 16, 2006

帰省 I (稲刈り)


実家へ帰るとき、丁度その頃は稲刈りに差し掛かっています。
自分の実家の地方では、盆休みの直前に第一期の稲が穂を垂らします。
台風一過で日も照る照る、最高気温が35℃。
太陽は、それがどうしたといった開き直りの呈で地を焼きます。
河原の堆積地である我が家の田圃には、山の谷間を抜けてくる風だけが涼しく、和みになります。
<写真>背景の林の向こうに仁淀川本流。

今年はほとんど仕事をしませんでした。
行って立ってるだけ。
機械化恐るべし。
自分は肌を焼いただけ。

$BGM> B'z/ミエナイチカラ

Tuesday, August 08, 2006

そういえば書いてなかった週末

ひたちなか海浜公園で開催されたRockin' on主催の
Rock in japan fes. 2006
に4人で出向きました。
4会場5万人収容の大イベントでした。
以下自分の見た順です。

<>
Aug 5th
フジファブリック
#ACIDMAN
#ELLEGARDEN
ランクヘッド
SPITZ
COCCO

Aug 6th
NICO touches the Walls
YUI
#DOPING PANDA
氣志團
#BEAT CRUSADERS
CHARA

#のセッションはモッシュをやりました。
2日で4回もやると、なんというか抜け殻というか。
はっきり言ってお勧めしません。

$BGM> DOPING PANDA/MIRACLE

はじめて買ったCD

はじめて買ったのは8cmシングルは、Chage&Aska/Heartですな。
いや、Access/Sweet Silenceかもしれません。
いつかはもう覚えてません。
行きつけのCDショップは帯屋町の宮地電器でした。
ポイントがなかなかたまらないので、黒いカードが机のどっかの引き出しにほったらかしだったなぁ。

ということで現在BGMで、あの頃の懐メロが流れています。
Access/Scandalous Blue
Accessは略記でAxs。
今思うとInxs(インエクセス)なんかをイメージしてたんでしょうか?
浅倉大介の作風がここで固定化されたといってもいい元祖。
これを最初に聞いてる世代なので、T.M.Revolutionなんかは自分の中で二番煎じです。
確かこのシングルは3部作の2作目ですね。
CDになんか応募券が付いてて、まあそんなものはすぐ無くすわけですが。

テクノはここら辺もしくは小室哲哉から入った覚えがあって、
YMOじゃなかったわけです、自分の世代は。

ついでに、自分は漫画(単行本、雑誌併せる)およびゲームの類より先にCDを買う習慣ができました。
やっぱりこのプライオリティは今になっても変わって無いなぁと、自分で納得します。
そうだ、そもそも活字は苦手だったのです。

最近就活の時より深いレベルで自分探しを始めています。

Wednesday, August 02, 2006

不思議(政治責任)

「不思議」エントリには、個人的に判らないことを書いていくことにしました。
今回は、「政治責任」という単語です。

A級戦犯はどうしてあれほど倦厭されるのでしょうか。
答えは「政治責任」なのだそうです。
その答えがよく判りません。
文化的知能指数0の私がいろいろ考えることにします。

まず「責任」について考えましょう。
権利や自由を得ると、それに伴って責任が発生するとよく言います。
私は逆だと思っています。
アパートに住んだら家賃を払う。
商品を買ったら代金を払う。
借金をしたら利息を返す。
権利を得るために、人は責任を負うのです。
いいものを手に入れるためには、それなりの対価を払うという市場原理が働いているのです。

じゃあ、「政治責任」とはどんな「責任」なのか。
「政治責任」に見合う「権利」とはなんでしょうか。
言葉を置き換えると、それは「政治権」になりますね。
ここで判らないのです。
「政治権」とはまさしく「政治」を行う「権利」なのですが、これって権利ですか?
会社員は課長、部長と位をあげるごとに給料がよくなります。
それは、重い仕事に対する給料という対価があるから、よく判るのです。
仕事が責任で給料が権利です。
んじゃ、政治という重い仕事にどんな対価が支払われるでしょう。
それなりにいい給料をもらっているのですから、対価とすべきかもしれません。
でも、A級戦犯とよばれて未来永劫嫌煙される責任を問われるような重さなら、
対して相当の権利があってしかるべきですね。
このバランス感覚はおかしいのですよ、どう考えても。

市場原理に照らしたときに「政治責任」の重さの説明がつかない。
一旦「政治責任」のあり方を考え直したらどうでしょうか?
むやみに大きな「責任」を負わせるような、マスコミの煽りや極端な原理思想は、為政者を悪者に仕立て上げつるし上げるただのいじめになります。

国民もなんらかの形で為政者の支援をしたことを考えると、
国民全体も何級戦犯だかわからないですが、戦犯です。
国民が何級かはっきりさせてからA級を語りましょう。